sofyukiの日記

名前に意味はないのよ? 

横田友好祭行ってきた パート9 戦闘機3

 70年台後半から出現する、アメリカ空軍の戦闘機を紹介していきましょう。

 

 再び登場のF-15。色合いが変なのは、カメラの設定を間違えて撮影していたため(泣)。

 

 アメリカの戦闘機を語る上で、避けては通れないジョン・ボイドという男。彼は戦闘機パイロットの中でも超が付くほど優秀で、かつ変人でもありました(笑)。米空軍戦闘機兵器学校にて、どんな状況でも40秒以内に機位の優位をひっくり返し、撃墜判定を出すことからついたアダ名は40秒ボイド。6年間、教官として模擬訓練では無敗を誇り、なぜそれが可能なのかという事を理論的に説明してしまったパイロットです。E-M理論という名で呼ばれるこの概念は、呆れるほど単純明快な事から、同様の研究結果が存在していないかという証明にかなりの時間を費やすことになるほどでした。

 E-M理論の詳しい解説はやりませんが、飛行物体のエネルギーは力学的E、すなわち運動Eと位置Eの和となります。速度を上げようとすれば位置Eを運動Eに変換するという事になりますね。但し、実際は空気抵抗や地球の重力などでEの損失は起きますし、戦闘機にはそのEを回復させることの出来るエンジンというパーツが搭載されています。それらの相関関係を効率の面から数式化したものがE-M理論となります。

 

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(F-111 Wikipediaより)

 

 ベトナムの空から一転、第三次中東戦争ベトナム戦争の戦訓を取り入れた戦闘機開発事業が1965年よりスタートします。何がしたいのかさっぱりわからんF-111という稀代の駄作戦闘機の初飛行を横目に、TAC(戦術航空軍団)はボイドのE-M理論に着目し、次世代戦闘機運用策定チームの一員として彼を召喚したのでした。ソ連のMig-23、25のロールアウトを受けて要求仕様そのものが迷走していたF-X事業は、ボイドのE-M理論を参考にしつつ、可変翼からの変更やエンジンのバイパス比の見直しなど、抜本的な仕様変更を行い1968年に要求仕様が固まります。それが最終的にF-15という形で実を結ぶ事になります。

 余談ですが、ボイドは可変翼が大嫌いで、海軍のF-14をコケにしまくってました(笑)。実際、速度域に最適な翼の形状を維持できる可変翼は理想的に見えますが、機体重量の増加はその長所を打ち消してしまうほどの欠点で、その整備コストの増加も無視できず、実際ボイドの言った通りになります。

 

 そうして出来上がったF-15という機体は、高出力のF100エンジンに高性能な電子機器を搭載した戦闘機として完成しましたが、コストと性能の面から満足しなかった連中が空軍内部に居たのです。

 

 ジョン・ボイドとゆかいな仲間たちこと、ファイターマフィアと名乗る連中でした。スプレイ、ボイド、リッチニオの三人を始点として新たな軽量戦闘機計画が上がります。スプレイという名で分かる人はわかりますかね。

 

 F-16。現在のアメリカ空軍主力戦闘機であり、初飛行から40年経過している今でも依然として優秀な機体です。

 F-15ではE-M理論の観点から、重すぎる点とコストの面でボイドは満足していませんでした。そこで空軍内部の三人で、実証機という形でスタートしたこの計画がF-16として結実します。

 

 F-16の成功は、F-15で開発していたF100エンジンを搭載できたことが大きいと個人的には思います。F-15開発時にはエンジンストール等のトラブルが大きな問題となっていたのですが、そういった問題点を洗い出した後の状態で搭載できたため、整備コストの面からもF-15と共有化が出来、ハイローミックスコンセプトが登場する土台ともなっています。

 

 翼端にAMRAAM搭載してますね。本物?

改修によって電子機器の差もF-15と比べて縮まっており、格闘戦の能力はF-15以上でコストは約半分となっており、アメリカの生み出した傑作戦闘機と言えます。

 

 F-15と比べると、非常に小さい機体ですね。運用開始から40年たった今でも置き換えられてない戦闘機で、後継のF-35の迷走っぷりから暫く主力であり続けるでしょう。F-16の設計を担当したスプレイ自ら、JSF計画(F-35の開発計画)を批判しており、今後どうなっていくのかは予想できません。

 ちなみに、スプレイの生み出した傑作機の一つにA-10が在ります。陸軍のCAS(近接航空支援)機体の予算を横取りしようという善意の欠片もない発想からあの傑作機が生まれるんですから、世の中何が作用するかわからんものです。

 

 次回に続く!